私達はお取引先様に少しでも喜んで頂ける様に一生懸命に真面目に取り組んでいます。
弊社は研究から開発そして商品化するまでに5年以上の年月を掛けています。
その商品には私達一人ひとりの魂や志が一つ一つ、大切に込められています。
例えば類似品の無い特別な商品で在って、
その商品を作る事さえ出来ないにもかかわらず、
簡単に批評したり、貶したり、中傷したりするばかりか、
経営さえも非難する寂しく哀しい人達が存在します。
私達は、地域社会に貢献する商品である事の責任、
そしてクライアント先や代理店様と一体となった販売活動や経営のあり方を考えます。
私たちは小さな会社ではありますが、目標に対し、私たちに課せられた使命に背向かず、
大儀の精神を抱き、一丸となって語り合い、共に行動し日夜頑張り続ける姿勢があります。
■類似商品についてのお知らせ
東寺「五重塔」、弘法大師と阿刀家
五重塔は、独立した5つの層が下から積み重ねられた構造をしています。各層が庇の長い大きな屋根を有していて、塔身の幅が上層ほど少しずつ狭くなっています。、中央には心柱と呼ばれる柱が貫通していて、5層の頂部でのみ接しています。5層の頂部に長い相輪が取り付けられ、心柱の先端に被せられていて、他の建築物に見られない特徴を有しています。五重塔の耐震性が強いのは、これらの構造によるものなのですね。
ちなみに東寺の五重塔の場合、心柱は<大日如来>ですが、拝観できるのは、お正月三が日だけとなっています。
東寺といえば、弘法大師空海ですが、永貞元年(延暦24年、805年)空海は初対面の恵果和尚(けいかわじょう)より灌頂(かんじょう:秘伝などを授けること)を受け、正当の密教伝承者となりました。また、恵果は空海に遍照金剛(大日如来の密号)の号を与えました。東寺の五重塔の心柱が<大日如来>なのは、そのことに由来すると言われています。
空海の父は佐伯直田公善通、母は玉依姫(阿刀氏)で、父の弟、大足(おおたり)は玉依姫の妹と結婚し、阿刀家の養子となり家を継ぎました。阿刀氏は、代々学者の家系で、幼い真魚(まお)-空海の幼名-は大足から教育を受けていました。大足は桓武天皇の第三皇子伊予親王の侍講をしており、空海の大学入学や入唐に際し、大きな助力をしたといわれています。こうした大恩に対し、後に大足が失脚した際、空海は保護し、死ぬまで身辺におき、報いたのです。しかも、その子孫は明治初年まで京都東寺の俗別当を代々つとめ、家系は現当主:阿刀弘文氏に至っています。空海が阿刀家を千二百余年にわたり、庇護してきたといえるのではないでしょうか。
弘法大師の父上の佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)(右側)と
母上の阿刀家の玉依御前(あとけのたまよりごぜん)(左側)

空海と共に大宰府の観世音寺に赴任した僧玄昉のルーツが、空海と同じ阿刀氏出身です。
玄昉は、20年にわたる遣唐使の滞在期間を得て、千手観音を日本に紹介した本人だとされています。
家系というのは、やはり、知らず知らずのうちに子孫を導くというようなことがあるのでしょうか?
京都東寺 終い弘法(しまいこうぼう)
年々賑わいを増す東寺の縁日「弘法さん」。人とモノを惹きよせるパワーで溢れています!
時代を経た骨董も、味のある古着も、手作り工芸品も、すべて一期一会の出会い。
毎月21日に東寺の境内で開催されている「弘法市(弘法さん)」には、骨董屋、古着屋、植木屋などの露店が軒を連ねます。
なかでも12月の市は「終い弘法」と言われ、1,000件以上の露店が出店します。正月用品などを売る露店も多く、全国から訪れる数十万人の人で賑わいます。
794年に建立された東寺(教王護国寺)。
ここは、弘法大師(空海)が真言密教の信仰を集め、勢力を伸ばした拠点です。
その弘法大師の命日である3月21日に、東寺の御影堂で行われる御影供の参拝者を目当てに露店が出るようになったのが、「弘法さん」の始まりなのです。
大根炊き(だいこだき)

大根炊きは釈尊が悟りを開いた日(12月8日)に因む行事で、鎌倉時代、大報恩寺(千本釈迦堂)の慈禅上人が大根に梵字を書いて魔よけにしたのが起源といわれている伝統行事です。
1500~2000本の聖護院大根に梵字を入れ無病息災を祈祷した後、その大根を切り込んで油揚げと一緒に直径1メートルもの大鍋を10個以上使って焚き上げられ参拝者に振る舞われます。

この大根炊きを食べると中風除けや諸病封じの御利益があるといわれていることもあって、多くの人が寒さの中ふうふう言いながら食べる姿は、師走の京都の風物詩にもなっています。
千本釈迦堂は正式名称を大報恩寺といい、鎌倉時代の安貞元年(1227年)創建の古刹。本堂(釈迦堂)は応仁の乱などで焼けることもなく残され、京都市内では最古の仏堂建築物とされています。また、おかめ伝説でも知られています。
出雲大社 神在祭 (旧暦10月)
旧暦の10月は、諸国では神がいなくなる神無月(かんなづき)です。
では、その間、どこに行ったかというと、出雲です。
だから出雲では神々が集まる神在月(かみありづき)です。
旧暦10月11日から17日までの7日間、八百万(やおよろず)の神々が出雲大社に集まって、神議り(かむはかり)という会議を行い、男女の縁組みをはじめ人世の諸般事を決定するといわれています。
神々をお迎えする旧暦10月10日の夜の「神迎祭(かみむかえさい)」に始まり、出雲大社ではこの期間、神々の会議場となる上宮(かみのみや)で「神在祭(かみありさい・じんざいさい)」を行います。
宿泊所となる境内の東西の十九社でも連日祭りが行われます。
神々が出雲大社をお発ちになる旧暦10日17日と、出雲の国を出てそれぞれの国へお帰りになる旧暦10月26日には、「神等去出祭(からさでさい)」を行ってお送りします。
この時期の出雲は凄いんですね。
十日夜(とおかんや)
十日夜とは旧暦10月10日に行われる収穫祭で、東日本を中心に行われています(西日本では旧暦10月亥の子の日や11月に、類似する収穫の行事を行います)。
その内容は地方によって様々ですが、稲の刈り取りが終わって田の神様が山に帰る日とされているため、稲の収穫を祝ってお餅をついて食べたり、稲の茎をたばねた「わらづと 」や「わら鉄砲」で地面を叩きながら唱えごとをして地面の神を励まし、作物にいたずらをするモグラを追い払います。また、「かかしあげ」といって田んぼを見守ってくれたかかしにお供えものをし、かかしにお月見をさせてあげる地方もあります。
十日夜はお月見がメインではないため、月齢に関係なく新暦の11月10日に祭りを実施する地方が多いようですが、昔から十五夜、十三夜、十日夜の3日間が晴れてお月見ができると縁起が良いとされています。
さて、皆さんは何回お月見をなさいますか?

案山子(かかし)は田の神様。
案山子にお供えものをしてお月見をしてもらうのは、
十日夜に天に帰るからという言い伝えもあるそうです。
■東北地方太平洋沖地震について
2011年3月11日(金)に発生した三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。











